オーストラリアの隠れた名門コースへの挑戦状
メルボルンから車で約1時間半、ビクトリア州のフランクストンにあるクリスタル・ダウンズ ゴルフクラブ。この名前を聞いて「あぁ、あの悪魔のコースね」とつぶやくゴルファーは、間違いなく相当な実力者です。私がここに足を踏み入れたのは、まさに無謀としか言いようのない挑戦でした。
このコースは1906年に設立された歴史あるプライベートクラブで、オーストラリアのゴルフコース設計の巨匠、アリスター・マッケンジーが手がけた傑作のひとつ。料金はビジター料金でおよそ200オーストラリアドル(約2万円)と決して安くはありませんが、その価値は確実にあります。ただし、それは「ゴルフの厳しさを学びたい」という意味での価値です。
「世界で最も美しく、最も残酷」なコースって本当?
朝8時30分、クラブハウスに到着した私を出迎えたのは、まるで英国の古城のような重厚な建物でした。受付で「初めてですか?」と聞かれ、うなずくと係の人は少し同情的な表情を浮かべます。「頑張って」という言葉が、なんだか「お疲れ様でした」のような響きに聞こえたのは気のせいでしょうか。
クリスタル・ダウンズの最大の特徴は、極端にうねったフェアウェイと戦略性の高いバンカー配置です。パー72の6,789ヤードというレングスは決して長すぎませんが、問題は距離ではありません。ここでは「真っ直ぐ飛ばせば良い」という常識が通用しないのです。
1番ホールから早くも洗礼を受けました。パー4の比較的短いホールですが、フェアウェイが大きく右に傾斜しており、少しでも左を狙いすぎるとボールはどんどん転がって谷底へ。右を狙いすぎると深いバンカーが待っています。「ここは算数のテストか?」と思わずつぶやいてしまいました。
マッケンジーの罠にハマった瞬間
5番ホール、パー3の名物ホールで私は完全にお手上げ状態になりました。距離は150ヤードとそれほど長くないのですが、グリーンが大きくうねっており、ピンの位置によって攻略法が全く変わります。しかも、グリーンの手前には「悪魔のバンカー」と呼ばれる深いバンカーが口を開けて待っているのです。
地元のキャディさんに聞いた話では、このバンカーは意図的に「逆さまのソーサー」のような形状に作られており、一度入るとボールが中央に集まってしまう設計になっているそうです。実際に私のボールも見事にそこにハマり、3回叩いてやっと脱出。「これは物理学の実験場ですか?」と苦笑いするしかありませんでした。
興味深いのは、このコースが風の影響を計算に入れた設計になっていることです。海に近い立地のため、午後になると強い海風が吹き始めます。午前中は追い風だったホールが、午後は完全に向かい風に変わり、クラブ選択が2番手以上変わることも珍しくありません。
グリーンという名の迷宮で迷子になる
クリスタル・ダウンズのグリーンは、まさに「生きている」という表現がぴったりです。どのグリーンも複雑なうねりを持っており、同じラインのパットが日によって全く違う転がりを見せるのです。これは芝の種類と刈り方、そして巧妙な傾斜設計によるものだそうです。
特に印象に残ったのは13番ホールのグリーンです。見た目はそれほど傾斜がきつく見えないのに、ボールが予想と全く逆方向に転がっていきます。地元の常連さんによると、「このグリーンは3つの微妙な傾斜が組み合わさっており、視覚的錯覚を起こすように設計されている」とのこと。まさにマッケンジーの意地悪な仕掛けです。
ラウンド中、隣のホールでプレーしていたオーストラリアのプロゴルファーと少し話をする機会がありました。彼曰く「クリスタル・ダウンズは技術よりも思考力を試すコース。ここで良いスコアを出すには、ボールを曲げる技術ではなく、コースを読む能力が必要」とのことでした。
地獄のラウンド後に見えた本当の魅力
18ホールを終えた時、私のスコアカードは見るも無残な数字で埋め尽くされていました。普段のスコアより20打も悪い結果でしたが、不思議と悔しさよりも充実感の方が大きかったのです。クラブハウスに戻ると、19番ホール(バー)で地元のメンバーたちが温かく迎えてくれました。
「初回でそのスコアなら上出来だよ」と声をかけてくれたのは、なんとクラブの元理事長。彼は70歳を超えているにも関わらず、このコースでシングルハンディキャップを維持しているレジェンドです。「このコースは最低10回ラウンドしないと本当の面白さが分からない。でも一度その魅力に取り憑かれると、他のコースが物足りなくなるんだ」
実は、クリスタル・ダウンズには「100回ラウンド達成者の壁」というユニークな伝統があります。同じメンバーが100回ラウンドを達成すると、クラブハウスの特別な壁にプレートが掲げられるのです。現在までに約200名がこの栄誉に輝いており、中には500回を超える強者もいるそうです。
知る人ぞ知るマニアックな楽しみ方
地元のキャディマスターから教えてもらった秘密の楽しみ方があります。それは「歴史的ショット再現プレー」です。過去にこのコースでプレーした名選手たちの有名なショットを、同じ場所から再現してみるのです。例えば、1960年代にビクトリア州オープンで優勝したピーター・トムソンが打った7番ホールの奇跡的なリカバリーショットなど、詳細な記録が残っています。
また、このコースには「幻の19番ホール」という都市伝説もあります。戦前の設計図には19番目のホールが描かれており、現在のクラブハウス裏の森の中にその痕跡が残っているというのです。実際に探してみると、確かに人工的に平らにならされた場所があり、古いティーマーカーらしき石が埋もれています。
再挑戦への誓いと実践的アドバイス
帰り道、車を運転しながら私は必ずリベンジすることを心に決めていました。クリスタル・ダウンズは確かに容赦ない難コースですが、それは「不公平」な難しさではありません。きちんと戦略を立てて、コースの設計意図を理解すれば、必ず攻略の糸口が見えてくる、そんな期待を抱かせるコースなのです。
もしあなたがクリスタル・ダウンズに挑戦するなら、いくつかのアドバイスがあります。まず、風向きを必ず確認すること。海からの風は予想以上に強く、クラブ選択を大きく左右します。次に、グリーン周りでは絶対に欲張らないこと。確実にグリーンに乗せることを最優先に考えましょう。
そして最も重要なのは、「完璧を求めない」ことです。このコースは完璧なゴルファーを作るためではなく、ゴルフの奥深さを教えるために存在しています。スコアが悪くても、それはあなたのゴルフが下手だからではなく、このコースが特別だからなのです。
メルボルン滞在中にもう一度チャレンジしましたが、2回目でもやはり苦戦しました。しかし、1回目とは違う種類の苦戦で、確実にコースへの理解が深まっていることを実感できました。クリスタル・ダウンズは、ゴルファーとしての成長を実感できる、そんな特別な場所なのかもしれません。