映画祭の街だと思っていませんか?
カンヌと聞けば、誰もが真っ先に思い浮かべるのは華やかな映画祭でしょう。しかし実際に足を運んでみると、この南フランスの小さな街は映画祭とはまったく違う顔を持っていることに驚かされます。地中海の穏やかな波音、石畳の路地に漂うラベンダーの香り、そして何より地元の人々の温かい笑顔。本当のカンヌの魅力は、レッドカーペットの向こう側にあったのです。
クロワゼット大通りの裏側で見つけた宝物
有名なクロワゼット大通りを歩いていると、観光客向けの高級ブティックばかりが目に入ります。でも、一本裏の通りに入ると景色は一変。地元のパン屋さんが焼くパン・ド・カンパーニュの香ばしい匂いが鼻をくすぐり、マダムたちが井戸端会議に花を咲かせています。
私が偶然見つけたのは、フォルヴィル通りにある小さなチーズ専門店。店主のピエールさんは30年以上この街でチーズを売り続けているのですが、彼が教えてくれたのは驚くべき事実でした。「カンヌのチーズ消費量は、映画祭の時期を除けば年間を通してほぼ一定なんだよ。つまり、この街の本当の住民は映画祭なんて関係なく、普通の生活を送っているってことさ」
旧市街スケ地区で迷子になる幸せ
観光バスが乗り入れできない急な坂道を上がった先にあるスケ地区は、まさにカンヌの隠れた宝石です。16世紀から続く石造りの建物が立ち並び、狭い路地は迷路のよう。
ノートルダム・ド・レスペランス教会で感じる静寂
頂上にあるノートルダム・ド・レスペランス教会(入場無料、毎日8時から18時まで開放)からの眺めは息をのむ美しさです。でも、ここで本当に感動するのは景色だけではありません。教会の鐘の音が街全体に響き渡る正午のひととき、地元の人々が一斉に立ち止まって空を見上げる光景に出会ったのです。
「あれは昔からの習慣なのよ」と、近くで花を売っていたおばあさんが教えてくれました。「戦争が終わって平和が戻った時、みんなでこの鐘の音に感謝したの。それからずっと、この時間は特別なのよ」
路地裏のビストロで本物の味に出会う
スケ地区を歩いていると、看板も出していない小さなビストロを発見しました。扉を開けると、わずか8席のカウンターだけの空間。ここのブイヤベース(1人前28ユーロ)は、地元の漁師が朝獲った魚だけを使った本物の味です。
シェフのマルセルさんは元漁師。「観光地のブイヤベースは見た目ばかりで中身がない。本物は見た目は地味だけど、海の味がちゃんとするんだ」と、誇らしげに語ってくれました。予約は不要ですが、席数が少ないので12時の開店と同時に行くのがおすすめです。
地元民だけが知る海岸の秘密
カンヌの海岸線は約7キロメートル続いていますが、観光客のほとんどはクロワゼット大通り沿いの有料ビーチしか知りません。しかし、歩いて20分ほど東に向かうとプラージュ・デュ・ミディという地元民専用のような無料ビーチがあります。
漁師町の名残を感じるパーム・ビーチ地区
さらに足を延ばすと、パーム・ビーチ地区に到着します。ここは今でも現役の漁港として機能していて、朝5時には漁船が戻ってきます。運が良ければ、水揚げされたばかりのウニを漁師から直接購入できることも(1個2ユーロ程度)。
地元のマダムに教わったのですが、このウニをその場で割って、レモンを絞っただけで食べるのが最高の贅沢なのだそうです。「パリの高級レストランで食べるウニより、ここで食べる新鮮なウニの方がずっと美味しいのよ」と、自慢げに話していました。
意外!カンヌは現代アートの隠れた聖地だった
映画祭のイメージが強すぎて見落とされがちですが、カンヌは実は現代アートの街としても非常に興味深い場所です。
ラ・マルメゾン美術館の前衛的な企画展
クロワゼット大通りにあるラ・マルメゾン美術館(入場料8ユーロ、火曜休館、10時から19時まで)では、若手アーティストの実験的な作品を積極的に紹介しています。特に注目なのは、映画祭期間中に開催される「映像と絵画の境界」をテーマにした企画展。
学芸員のソフィーさんによると、「カンヌという街の特性を活かして、映画という動く芸術と静止した絵画の関係性を探求する作品を世界中から集めている」とのこと。確かに、映画の街だからこそ生まれる独特な視点の作品ばかりでした。
街角に突然現れるストリートアート
スケ地区の路地を歩いていると、古い壁に描かれた繊細なストリートアートに出会うことがあります。これらは地元の若手アーティストたちが許可を得て制作したもので、観光地化されていない生の芸術表現です。
特に印象的だったのは、サン・タントワーヌ通りの角にある「時の流れ」という作品。一見すると古い石壁にしか見えませんが、よく見ると微細な線で現代と過去が織り交ぜられた複雑な絵が描かれています。作者のジュリアンさんは「観光客には気づかれないくらいがちょうどいい。本当にアートを求める人だけが立ち止まってくれればいいんだ」と話していました。
食材選びから始まる本当のカンヌ体験
カンヌで最も活気があるのは、実はマルシェ・フォルヴィル(火曜から日曜の朝7時から13時まで)です。ここは地元民の台所として100年以上続く伝統的な市場で、観光客向けではない本物の南フランスの食文化に触れることができます。
オリーブオイル職人との出会いが教えてくれたこと
市場の奥で小さな店を構えるオリーブオイル職人のアントニオさんは、祖父の代からこの仕事を続けています。彼が作るエクストラバージン・オリーブオイル(100ml瓶で12ユーロ)は、カンヌ近郊の丘で育ったオリーブのみを使用した逸品です。
「本物のオリーブオイルは、舌にピリッとした刺激がある。それがポリフェノールの証拠なんだよ」と、試飲させてもらいながら教えてもらいました。確かに、スーパーで買うオリーブオイルとは全く違う、力強い味わいでした。
彼の店では、オリーブの品種による味の違いを学べるテイスティング体験も実施しています(1人15ユーロ、要予約)。プロヴァンス地方特有の「タンシュ種」「カイヨン種」など5種類のオリーブから作られたオイルを比較試飲できる贅沢な体験です。
夕暮れ時に現れるもう一つのカンヌ
日中の賑わいが嘘のように、夕方6時を過ぎるとカンヌは静寂に包まれます。この時間帯こそ、地元民が本当に愛するカンヌの姿を見ることができるのです。
ポルト・カント港で過ごす魔法の時間
ポルト・カント港では、夕陽に染まるヨットが幻想的な風景を作り出します。ここで地元の老人たちがベンチに座り、静かに海を眺める光景に何度も遭遇しました。
「毎日同じ時間にここに来るのが日課なんだ。海を見ていると心が落ち着く」と話してくれた元教師のジャンさん。彼によると、この港は観光客が少なくなる夕方以降が最も美しいのだそうです。
実際、夕陽が水面に反射してオレンジ色に輝く港は、昼間の喧騒を忘れさせてくれる特別な場所でした。近くのカフェ・ラ・ヴィでは、地元産ワインをグラス1杯4ユーロで楽しみながら、この絶景を独占できます。
最後に気づいた本当のカンヌの魅力
滞在最後の夜、スケ地区の小さな広場で偶然、地元住民の小さな集まりに出くわしました。ギターを弾く青年、歌を口ずさむおばあさん、踊り出す子どもたち。観光客の私を快く迎え入れてくれた彼らとの時間こそが、この旅で最も心に残る思い出となりました。
カンヌの本当の魅力は、華やかな映画祭でも高級ホテルでもなく、この街で普通に暮らしている人々の温かさにあったのです。次回訪れる時は、もっと長く滞在して、この街の日常により深く溶け込んでみたいと思います。