なぜトリエステは「忘れられた宝石」と呼ばれるのか?
イタリア最北東端の港町トリエステ。多くの旅行者がベネチアやローマに向かう中、この街を素通りしてしまうのは本当にもったいない話です。実際に歩いてみると、ここには他のイタリアの都市とは全く違う、複雑で魅惑的な世界が広がっています。
オーストリア帝国時代の面影を色濃く残す建築群、スロベニアとの国境まで車でわずか20分という立地、そして地元の人々が話すイタリア語にほんのり混じるスラブ系の響き。これらすべてが、トリエステを単なる「イタリアの港町」以上の特別な存在にしているのです。
到着してすぐ気づく「ここは本当にイタリア?」という違和感
トリエステ中央駅に降り立った瞬間、多くの旅行者が感じる違和感。それは建物の様式にあります。ミラマーレ城へ向かうバス路線から見える白亜の宮殿群は、むしろウィーンやプラハで見かけるハプスブルク様式そのもの。
駅から徒歩15分ほどでアクセスできるウニタ・ディタリア広場は、ヨーロッパ最大級の海に面した広場として知られています。この広場を囲む建物群を見上げると、19世紀末のオーストリア帝国が築いた壮麗な商業建築が立ち並んでいます。入場無料で24時間開放されているこの空間は、夕暮れ時に訪れると特に美しく、アドリア海からの潮風と共に歴史の重みを感じられます。
現地の人だけが知る「カフェ文化」の真実とは?
トリエステのカフェ文化は、実はウィーンから直輸入されたもの。カフェ・サン・マルコ(営業時間:月〜土 7:00-20:00、日曜定休)では、今でもウィーン式のコーヒーサービスが受けられます。1914年創業のこの老舗では、コーヒー1杯が約2.5ユーロですが、注目すべきは地元の作家ジェームズ・ジョイスが常連だったという歴史的背景。
さらに驚くべきことに、トリエステは実はイリー・コーヒーの発祥地。世界的に有名なこのコーヒーブランドは、1933年にこの街で創業されました。旧市街にあるイリーの直営店では、本社工場で焙煎されたばかりの豆を使ったエスプレッソが味わえます。
観光地図に載らない「地下都市」探検の興奮
多くの観光客が見落としがちなのが、トリエステの地下に眠る古代ローマ時代の遺跡群。サン・ジュスト大聖堂の地下には、2世紀頃の古代ローマのバシリカ跡が保存されており、予約制(料金5ユーロ、所要時間45分)で見学可能です。
特に興味深いのは、現在の街の地下約3メートルのところに、完全に別の都市層が存在していること。第二次世界大戦中に防空壕として使用された地下トンネルの一部は、現在もグロッタ・ジガンテ(巨人の洞窟、入場料12ユーロ)として一般開放されています。トリエステ市内から車で約30分のこの鍾乳洞は、観光用に整備された地下世界として、予想以上のスケールで訪問者を圧倒します。
食べなきゃ損する「国境の味」の正体
トリエステの料理は、イタリア、オーストリア、スロベニアの影響が絶妙にミックスされた独特のもの。ヨータという豆とザワークラウトの煮込み料理は、寒い港町ならではの郷土料理として地元の人々に愛され続けています。
旧市街のトラットリア・アル・ブラゴッツォ(営業時間:火〜日 12:00-15:00, 19:00-23:00、月曜定休)では、このヨータを約8ユーロで味わえます。一見地味に見えるこの料理ですが、豆の優しい甘みとザワークラウトの酸味が絶妙にマッチし、パンと一緒に食べると体の芯から温まります。
また、プロシュート・サン・ダニエーレも忘れてはいけません。これは厳密にはフリウリ地方の特産品ですが、トリエステの生ハム専門店では最高品質のものが手に入ります。
移動手段と知っておくべき現実的な注意点
トリエステは決して大きな都市ではありませんが、見どころが分散しているため効率的な移動が重要です。市内の公共交通機関は主にバスで、1日券が4.5ユーロ。特にミラマーレ城(入場料12ユーロ、火曜定休)への移動には36番バスが便利で、中央駅から約20分でアクセスできます。
注意したいのは、多くの美術館や歴史的建造物が月曜日または火曜日に休館すること。また、海沿いの遊歩道は冬季の強い北風「ボラ」の影響で歩行困難になることがあるため、11月から2月にかけて訪問する際は風の強さを事前にチェックすることをお勧めします。
帰国後も忘れられない「境界線の街」の余韻
トリエステを訪れた人の多くが口にするのは「不思議な街だった」という感想。それは、この街が単一の文化や国家のアイデンティティに収まらない、複雑で多層的な魅力を持っているからかもしれません。
夕方のウニタ・ディタリア広場で、アドリア海に沈む夕日を眺めながら飲んだエスプレッソの味。リストランテ・ハリー・グリル(営業時間:12:00-15:00, 19:30-24:00、日曜定休)で味わった魚介のリゾット(約18ユーロ)の濃厚な海の香り。そして何より、街角で出会った地元の人々が話すイタリア語に混じる、どこか懐かしいような響きの言葉たち。
最後に知っておきたい「隠れた名所」の存在
観光ガイドブックにはほとんど載らない場所として、リジエーラ・ディ・デュイーノの断崖絶壁があります。トリエステから電車で約30分のデュイーノ駅下車後、徒歩15分でアクセスできるこの場所は、詩人リルケが「デュイーノの悲歌」を着想した地として文学愛好家の間では有名です。
断崖から見下ろすアドリア海の青さは、まさに絶景という言葉がふさわしく、観光客がほとんどいない平日の午前中に訪れれば、波の音だけが響く静寂の中で、この国境の街が持つ詩的な美しさを独占できます。
入場料などは一切かからないこの自然スポットですが、足場が不安定な箇所もあるため、歩きやすい靴での訪問が必須です。また、強風の日は危険なため、天候の確認も忘れずに。
トリエステは、一度の訪問ですべてを理解できるような単純な街ではありません。しかしだからこそ、何度でも足を運びたくなる、そんな不思議な魅力を持った場所なのです。次回イタリアを訪れる機会があれば、ぜひこの「国境の迷路都市」への扉を開いてみてください。きっと、今まで知らなかったヨーロッパの一面に出会えるはずです。