パキスタン南部のシンド州にあるモヘンジョダロを訪れた時、私は4500年前の文明が突然消えた謎に直面しました。世界遺産に登録されているこの古代都市は、教科書で見るのとは全く違う衝撃的な光景が広がっていたのです。
なぜモヘンジョダロは「死者の丘」と呼ばれるのか?
モヘンジョダロという名前は現地の言葉で「死者の丘」を意味します。しかし実際に現地を歩いてみると、この名前の重みがずしりと胸に響いてきました。紀元前2600年から1900年頃まで栄えたインダス文明最大級の都市が、ある日突然放棄されたのです。
カラチから北へ約400キロの位置にあるこの遺跡は、1922年にイギリスの考古学者によって発見されました。驚くべきことに、この都市には下水道システムや公衆浴場、さらには標準化されたレンガまで存在していたのです。現代の都市計画にも引けを取らない高度な文明がここにありました。
古代の都市計画に現代人も脱帽?
遺跡を歩いていると、碁盤の目のように整然と区画された街路に目を奪われます。道路の幅は一定で、各家庭には井戸と排水設備が完備されていました。特に印象的だったのは大浴場です。長さ12メートル、幅7メートル、深さ2.4メートルのこの施設は、宗教的な儀式に使われていたと考えられています。
現地ガイドから聞いた話では、この浴場の防水技術は現代でも通用するレベルだそうです。アスファルトと石膏を使った二重構造で、4000年以上経った今でも水漏れの痕跡がほとんど見られません。
入場券を買う前に知っておくべき現実とは?
モヘンジョダロ博物館の入場料は外国人の場合500パキスタン・ルピー(約200円)ですが、遺跡の現状を知ると複雑な気持ちになります。実は、この貴重な世界遺産は深刻な保存問題に直面しているのです。
開館時間は午前8時から午後5時までで、金曜日は午後2時からとなっています。しかし訪問前に必ず確認してください。政情不安や保存工事により突然閉鎖される場合があります。
塩害という見えない敵と戦う遺跡
現地で最も衝撃的だったのは、遺跡が「塩害」によって静かに破壊されている現実でした。地下水に含まれる塩分が毛細管現象で地表に上がり、古代のレンガを内側から崩壊させているのです。よく見ると、レンガの表面に白い結晶がキラキラと光っているのが確認できます。
この問題は1980年代から深刻化しており、ユネスコは「危機遺産」への登録も検討しています。私たちが今見ているモヘンジョダロは、もしかすると最後の姿かもしれないのです。
カラチからのアクセスは想像以上に過酷だった
モヘンジョダロへの道のりは決して楽ではありません。最寄りの空港はカラチかラルカナですが、一般的にはカラチから車で約6時間のルートを選ぶことになります。道路状況は決して良くなく、特に夏季は気温が50度を超えることもあります。
私は現地ツアーを利用しましたが、途中でパンクするハプニングもありました。しかし現地の人々の温かいもてなしで、この小さなトラブルも旅の良い思い出となりました。
ラルカナ経由という裏技もある?
実はカラチ以外にも、ラルカナという小さな町経由でアクセスする方法があります。ラルカナからは約30分程度と格段に近く、国内線でカラチからラルカナまで飛ぶことも可能です。ただし便数が限られているため、事前の入念な計画が必要です。
発見された「謎の文字」が今も解読不能な理由
モヘンジョダロ博物館で最も興味深かったのは、インダス文字の展示でした。この文明では400以上の文字記号が使われていたことが分かっていますが、なんと現在でも解読されていないのです。
現地の学芸員によると、この文字はロゼッタストーンのような対訳資料が存在しないため、解読が極めて困難だそうです。つまり、この高度な文明が何を考え、どんな言語を話していたのか、私たちは今も知ることができないのです。
有名な「神官王」の正体も実は不明?
教科書でおなじみの「神官王」の彫像も実際に見ることができますが、実はこれが本当に王様だったかどうかは分かっていません。この呼び名は発見当初の推測に基づくもので、現在では「権威ある人物」程度の解釈に留まっています。歴史の教科書に載っている「事実」が、実は推測だったという衝撃的な現実です。
文明はなぜ突然消えたのか?現地で感じた不気味さ
モヘンジョダロを歩いていて最も不気味に感じたのは、この文明の終わり方でした。戦争の痕跡はなく、火災の跡もありません。まるで住民がある日突然いなくなったように、都市が放棄されているのです。
現地で発掘に携わる考古学者から聞いた話では、最上層からは明らかに文明の衰退期を示す遺物が見つかっています。精巧だった土器は粗雑になり、都市計画も乱れていたそうです。気候変動による大河の流路変更、あるいは疫病の蔓延など諸説ありますが、真相は4500年の時を経た今も謎のままです。
最後の住民が見たものとは?
遺跡の一角で、37体の人骨が発見された場所があります。これらの人々は逃げることもできず、その場で息絶えていました。一体何が起こったのか。現地に立つと、古代の人々の最後の瞬間に思いを馳せずにはいられませんでした。
観光で注意すべき現実的な問題とは?
モヘンジョダロ観光で最も気をつけるべきは気候です。4月から10月の夏季は気温が40度を超え、特に6月から8月は50度近くまで上がります。私は3月に訪れましたが、それでも日中は35度を超えていました。
また、この地域は政情不安の影響を受けやすく、外務省の渡航情報を必ずチェックしてください。現地では必ずガイド付きツアーを利用し、単独行動は避けるべきです。
体調管理は生命線?
水分補給は想像以上に重要です。現地で購入できる飲み物は限られているため、カラチで十分な量のミネラルウォーターを調達してから向かうことをお勧めします。また、強烈な日差し対策として帽子とサングラス、そして長袖の服装は必須です。
帰路で実感した「文明の儚さ」という教訓
モヘンジョダロを後にする時、私の心に残ったのは文明の儚さでした。どんなに高度な技術を持っていても、どんなに計画的な都市を築いても、すべては時の流れの前には無力なのです。
しかし同時に、4500年という時を超えて私たちに語りかけてくるこの遺跡の力強さも感じました。文字は読めなくても、彼らが築いた下水道システムや都市計画から、人間の叡智と努力がひしひしと伝わってきます。
現在、パキスタン政府とユネスコは協力してモヘンジョダロの保存に取り組んでいます。しかし塩害の進行は止まらず、専門家によれば「あと50年が限界」とも言われています。この人類共通の財産を見ることができるのは、私たちの世代が最後かもしれません。
モヘンジョダロは単なる観光地ではありません。人類の歴史と向き合い、文明とは何かを考えさせてくれる特別な場所です。確かにアクセスは困難で、気候も厳しい。それでも、この地に立った時に得られる感動と洞察は、旅の苦労を補って余りあるものでした。